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浜松まつりとは About Hamamatsu Festival

450年以上もつづく凧揚げまつり「浜松まつり」 大空高く舞い上がる勇壮な凧と 絢爛豪華な御殿屋台が5月の浜松を彩ります。

毎年5月3、4、5日に開催される浜松まつりは、100万人以上の観光客が訪れる日本有数のまつりとして知られています。昼間は中田島砂丘で勇壮な凧揚げ合戦、夜は中心市街地で絢爛豪華な御殿屋台が引き回されるほか、郷土芸能や吹奏楽パレード、ミス浜松まつりコンテストなど、3日間楽しめるイベントが盛り沢山。まつり期間中は町中が熱気と興奮に包まれます。町民の声によって生まれた浜松まつりには、現在、市内170か町が参加、老若男女を問わず誰でも参加できる市民のまつりとして発展し続けています。

浜松まつりの起源

浜松まつりの起源は、今からおよそ450年前の永禄年間(1558~1569)にまで遡ります。酒井真邑が書いた「浜松城記」によると、当時浜松を治めていた引馬城主飯尾豊前守に長子義廣公が誕生したときのことでした。殿様の跡継ぎ誕生をお祝いしようと、入野村の住人、佐橋甚五郎の進言によって義廣公の名前を凧に記して城中高く揚げたのが始まりと言い伝えられています。

天高く舞う大凧 Kite Battle

浜松まつりの昼間の見どころ「凧揚げ合戦」。 約170か町の凧が一斉に天高く舞い、入り乱れて凧糸を切り合う「ケンカ凧」は迫力満点です。

凧揚げ合戦とは

5月3日、午前10時。開会式の花火の合図とともに、約170か町の凧がいっせいに揚げられ、空は凧一色で埋め尽くされます。続いて、激闘を鼓舞するラッパの音とともに数百人が入り乱れての凧揚げ合戦が始まります。太さ5ミリの麻糸を互いに絡ませ、摩擦によって相手方の糸を切ることから「ケンカ凧」とも呼ばれます。糸と糸がこすれ合う焦げた臭いと砂埃が立ち昇ると、会場は熱気と興奮に包まれます。浜松っ子の心意気が真正面から激しくぶつかり合う、これが伝統の凧揚げ合戦なのです。

凧揚げ合戦の歴史

凧揚げ合戦が本格化したのは明治20年頃。あちらこちらの広場で行われていた凧揚げを1カ所に集まって開催しようと、現在の和地山公園で凧合戦が行われたのが大正8年。戦争による一時中断を経て、昭和23年、浜松市凧揚会主催により第1回の凧揚げ合戦が盛大に行われました。戦前は約50か町が参加していた合戦ですが、2009年には史上最多の174か町が参加、ますます盛り上がりを見せています。

凧の大きさ

凧の大きさ

凧の大きさは2帖~10帖まで。初凧は4帖(1辺2.4m)が主流で、凧揚げ合戦には4帖と6帖(1辺2.9m)が適しています。

初 凧

初凧とは、子供の誕生を祝い、その成長を願って、町の若衆と親子がいっしょになって空高く揚げる大凧のこと。家紋と赤ん坊(初子)の名前を書き入れた凧を揚げるこの風習は、今からおよそ440年前の永禄年間、引間城主が長男誕生を祝って凧を揚げたことに由来しています。「遠州のからっ風」と呼ばれる強い風が吹くこの地は気候的にも凧揚げに最適で、凧が高く揚がれば揚がるほど、初子が健やかに成長すると言われています。

初子の祝い

夜、御殿屋台の引き回しが終わると、若衆たちは町内の初家(初子宅)に集まり、初子の誕生と成長を祝って激練り(初練り)を繰り広げます。練りの迫力とラッパの音の大きさに、思わず泣き出してしまう初子も。万歳三唱の後、初家は祝ってもらったお礼に、若衆連に料理と酒を振る舞います。

絢爛豪華な御殿屋台 Goten Yatai

浜松祭りの夜を幻想的に彩る御殿屋台の引き回し。 練りが御殿屋台を先導し、町中にラッパと掛け声が響き渡ると、 まつりはクライマックスを迎えます。

御殿屋台引き回し

凧合戦の興奮も冷めやらぬ夕暮れどき、浜松まつりの舞台は中心街へ。ベテランの弾き手がつまびく三味線の音、きれいにおめかしした子どもたちの笛とお囃子を合図に、絢爛豪華な御殿屋台がゆっくりと動き出します。各町それぞれが趣向を凝らした彫物や提灯で飾りつけられた豪華な御殿屋台は、祭典絵巻のような美しさで見る人を魅了します。

御殿屋台の歴史

浜松まつりの御殿屋台の始まりは明治の末頃。凧合戦の帰りに大八車の四隅に柱を立てて凧を屋根がわりにして引いていたところ、伝馬町若松座の森三之助丈という役者が芸者衆と一緒になって鐘や太鼓ではやしたてたのがきっかけと言われています。造花や提灯を飾りつけた底抜け屋台が登場したのは大正4年。昭和3年頃から各町が競って格調高い屋台を造るようになりました。昭和6年には二重屋根で彫り物がたくさん嵌められた重層唐破風入母屋造りなどの御殿屋台が続々登場。現在の絢爛豪華な御殿屋台が浜松まつりの夜を彩るようになりました。

激練り

激練りは、大凧、御殿屋台と並ぶ、浜松まつりのもうひとつの顔。凧場げ会場で繰り返されていた練りは、夜の屋台引き回しで最高潮に達します。すり足で練り進む法被姿の一団が、うねりとなって「オイショ、ヤイショ」の掛け声とともに激練りを展開。華麗な御殿屋台の光に激練りの姿が幻想的に浮かび上がり、この瞬間、町は興奮の坩堝と化します。